【双極性障害の体験談】必ず光は差す

【双極性障害の体験談】必ず光は差す

【双極性障害の体験談】必ず光は差す

プロフィール: キャロラインさん、30歳女性、医療事務

 

私が双極性障害になってから今までの歩みを紹介します。

 

高校生の頃に部活、受験と忙しく過ごしていたある日。突然過呼吸になりました。

 

それから体調が優れずに授業を休み保健室に行くようになり、電車通学も辛くなりました。行きたい気持ちとは裏腹に体調はワルいんです。担任の先生の薦めで心療内科に行くと、パニック障害と診断されました。

 

自分でも精神的なものではないかと思ってはいましたが、認めたくなくてさき伸ばしにした結果、かなり状態は悪化していました。

 

無理やり電車通学して何度も過呼吸になりかけた結果、閉所恐怖症と広場恐怖症を併発していました。

 

親はやっぱり認めたくなかったらしく、病気のことを話しましたが、気のもちようと言われました。

 

内服薬を処方されていくらか落ち着いた結果、私は無茶な受験をしました。

 

一時間かけて電車で都心の理美容専門学校に行くことにしたんです。

 

満員電車があまりにも辛くて、比較的空いている始発で行きました。

 

専門学校の忙しさで、あまりパニック発作はおこしませんでした。

 

あたしの夢は腕に技術つけて、バリバリに仕事することでした。

 

なので、就職も無茶をしました。

 

実家からは通えない、かなり勤務時間の長い、男性でもしんどいようなサロンで勤務することになりました。

 

頼れる友達、家族が近くにおらず、休みもほとんどなし。勤務は8時から20時で、20時以降は夜中の1時まで練習。

 

そんな生活を半年間しているうちに、どんどん塞ぎ混むようになりました。

 

急に泣いたり、笑ったり。感情が崩壊して、徘徊までしていたそうです。

 

サロンのオーナーが実家に電話してくれたらしく、実家に帰ることに。

 

親もおかしいと思ったのか近所の精神科に行ったら双極性障害との診断。

 

やりたかった仕事を、途中で辞めた悔しさから大量服薬の自殺未遂を2回。リストカットも数えきれない位やりました。双極性障害はハイな時とうつな時があるので疲れやすく、周りに鬱だけじゃないからハイの時を見られると、なんだ…元気じゃん。仮病かよ。と思われがち。

 

躁鬱に振り回されて仕事は何をやってもうまくいかず…

 

ある日母親に医療事務を進められて資格をとり、理容師から転職することに。

 

医療事務なら医者がいる職場だから、パニック発作も躁鬱も理解してもらえる。と思ったら、自然とあまりならないようになった。

 

仕事への執着が凄かった私でしたが、凄く落ち着いて仕事出来るようになり、その後結婚、出産し、今でも医療事務を続けています。

 

母の一言で医療事務に転職したことで、死にたいほどの毎日に一気に光が差しました。

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