双極性障害の母の15年
プロフィール: ちゃんあみさん、70歳女性、農家の手伝い、治療期間15年
私の母のことですが、私が成人後、家を出てから双極性障害になりました。最初は子供が巣立ったことで気が抜けて、ちょっと落ち込んでいるのかなと思ったのですが、電話で話しても会話にならなかったり、小綺麗にしていたのに身なりに構わなくなったり、寝ていることが極端に多くなって、顔の表情もなくなってきたことなどからちょっとおかしいなと思い始めました。その頃母は55歳くらいで、知り合いの農家の手伝いを時々するくらいの仕事でしたが、それも行くことができなくなり休んでいました。
電話などで、病院を受診したほうがいいとなんども勧めましたが、生返事だけで埒があかず、私と姉で引きずるようにして、一緒に受診しました。その時までにすでに3ヶ月ほど経っていたと思います。母も無気力で動けない状況をなんとかしたいと思ってはいたようで、処方された薬を渋々ながらも飲んでいたようです。そうして、それから3、4ヶ月ほどしてだんだん気持ちも上向いてきました。
そうなると、それまで寝て過ごしていた時間を取り戻そうとするかのように、知り合いに電話をかけたり、出かけたり、もともと趣味だったお菓子つくりに精を出して、ものすごくたくさん作って人に配り歩いたりと、今度は躁状態になりました。母自身は、動けることが嬉しくて楽しくて、眠る暇も惜しんで動き回っていたようですが、半年ほどするとそのペースに体がついていけなくなり、疲れて眠りたいのに眠れないという状態になり、再び鬱状態になりました。躁状態の時は「薬なんて全く必要ない」と思っているらしく、何を言っても飲まなくなるのが原因ではないかと思っています。本当は薬を常に飲み続けてコントロールしてほしいところですが、母は今でも薬にはなんの効果もないと言い張っていて、結局15年ほどこのサイクルを繰り返しています。
今は私と姉も、やっとありのままの母を受け入れようと思えるようになりました。内服できないことを責めるのではなく、躁状態の時も鬱状態の時も、「私たちはいつも心配している」というメッセージを送るようにしています。今でも、元気な時は農家の手伝いをしているので、できるだけ元気な時が続けばいいなと心からおもっているところです。
同じ症状を持つ方へのアドバイスは、疲れた時や人に会いたくない時は、無理せずゆっくり休む事、でしょうか。それから、信頼のおける医師を探すことだと思います。
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