人生で一番辛かった双極性障害の5年間
プロフィール: エイミーさん、30歳女性、OL
とても楽しい高校生活を過ごし、卒業したころから私の双極性障害が始まりました。
そもそも、高校3年生はたくさんのことがありました。受験の失敗、親友との意見相違からの不仲、最愛の祖母の死。とても辛かったのですが、第二志望の大学に通い始めました。
あまり気持ちも入らないので楽しもうとも思わず、大好きだったおしゃれもせず、好きでなくなった彼に別れを告げるもつきまとわれ、何もかもが色あせたように見えていました。
そこに更にふりかかったのが、親友の双極性障害でした。完璧主義だった親友は勉強疲れと、親からのプレッシャーが原因でそうなってしまったようでした。ずっと話を聞いているうちにこちらも気分がどんよりしてきたのです。切り替え上手だった私ですが、それはハツラツと打ち込む何かがあったから。それがなくなったあの頃、どんどんその闇に吸い込まれていったのです。
それから大変な事に、親友が毎日鬼のように電話をかけてくるようになりました。
昼夜問わず、夜中の3時にずっとなっていたこともあります。ほぼ無視していたのですがだんだんエスカレートし、メールで私が他の子と仲良くしていることに対しての文句なども送り付けられるようになったのです。
本当に、正直面倒でたまらなくなってしまっていましたが、偽善者の私は悪者になりたくなくて、あなたのことも大切だよ、などと言っていたのでした。
その頃付き合いだした、大学で出会った彼は、とてもいい人なのですがいい人が故につまらない嘘をたくさんつく人でした。その内容があまりにもつまらなくて、「私はそんなことすら話してもらえないような信用できない人間なんだ」と自己嫌悪に陥ってしまったのです。
そのあとは、親友と同じような行動をしてしましました。彼を相手にどなったりわめいたり、何でもないときに勝手に妄想が湧き出して止まらなくなり、強迫観念にかられて彼に鬼のように電話をかけ、出なければ家まで行きました。
そんな自分が大嫌いで、なんでこんな風になったんだろうといつも考えていました。死のうと思ったことはないです。夢があったので、それだけは一度も思いませんでした。ただ、彼と出会う前に戻りたい、人間関係をすべて変えてしまいたいとはいつも思っていました。それでも4年間学校に通い続けました。授業はほとんど最低限しか出ていませんが、なんとか卒業しました。
自分が双極性障害だということは本を読んだり人から言われて自覚していましたが、病院には行かず、自分で闘いました。人間関係を変えました。彼と別れることはできなかったけど、一人の時間を大切にするようになりました。好きなことに没頭する時間を自分から作りました。
そして転機が訪れました。就職です。自分に仕事が与えられ、世の中から必要とされ、洗練された仲間と共に働く毎日。私が必要だったのはたったこれだけのことだったのかと思うほど、世界が明るくなり毎日わくわくし、つまらないことは気にならなくなりました。
人間が人に必要とされるということが、どれだけ大切な事なのか、この時ほど強く感じたことはありません。
今、苦しんでいる皆さん。それは自分のせいで起きていることではありません。どうか自分を責めないでください。様々な状況が重なって、今、そうなってしまっているだけです。ずっとは続きません。早く脱して、あんな頃があったと、話せるように、このいま苦しい時を、早く過去のものにしてしまいましょう。大丈夫です。自分を信じて下さい。
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